ワールドカップ女子日本登場です。 [テニス]
おはようございます。
昨日はアクセスありがとうございます。(._.)オジギ
昨日は、雨が降って、散歩が出来ませんでした。(>_<)
昨日は、何時もの時刻に就寝でしたが、またもや、2,3回の目覚めでした。ヽ((◎д◎ ))ゝ
今日は、朝6時前に起きました。睡眠時間は・・・・・まあまあです。o(〃^▽^〃)o
朝のニュースです。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
以下、毎日新聞のネット新聞から、転載しましたよ。(*^.^*)
”【バンクーバー(カナダ)福田智沙】サッカー女子ワールドカップ(W杯)カナダ大会で連覇を目指す日本代表(なでしこジャパン)は8日午後7時(日本時間9日午前11時)、1次リーグC組の初戦でスイスと対戦する。6大会連続出場の澤穂希選手(36)=INAC神戸=は、今大会が最後のW杯と明言。日本女子サッカー界の“レジェンド”のラストW杯の幕が上がる。
澤選手はスイス戦に出場すれば、国際Aマッチ200試合出場となる。男女合わせても日本人で史上初となる偉業だ。とはいえ、次のW杯時は40歳。「どう考えても(今大会が)最後。全力でやりたい」
自身の役割は「背中で見せること」と自任する。合宿では体を張ってボールを奪いに行くなど全力のプレーを常に見せる。「練習でできないことは試合でできない」と、ベテランだからと練習で手を抜くことはない。「苦しい時は私の背中を見て」となでしこの姿勢を示し続けてきた。
そんな澤選手も当初は背中を「見る」立場だった。1993年の代表デビュー時はまだ15歳。日本サッカー協会の野田朱美・女子委員長や19歳以下女子日本代表の高倉麻子監督らが中心選手だった。敗戦に悔し涙を流す先輩たちの姿を見て、「日の丸」を背負って戦うことの重さを痛感した。
アジアですらなかなか勝てない、日本女子サッカー冬の時代。95年、澤選手はW杯(当時は世界選手権)初出場するも決勝トーナメント1回戦にあたる準々決勝で敗退。翌年のアトランタ五輪では1勝もできなかった。試合会場に観客はほとんどおらず、2000年のシドニー五輪出場を逃すと、リーグから撤退する企業が相次いだ。
澤選手自身、所属チームに月謝を払ったり、「3カ月後に契約を打ち切ります」と通告されたりしたこともあった。そんな環境でも、女子サッカーを発展させるという使命を背負って走り続け、前回大会での初優勝をつかみとった。「サッカーを始めた時は6回も(W杯に)出るとは思わなかった」。来年のリオデジャネイロ五輪については「現役をやっていれば目指したいという気持ちはある」と含みを持たせる。
スイス戦前日の公式練習後、「いつも通りの緊張感が高まっている。やりきった大会にしたい」と意気込みを表現した澤選手。「やるからには連覇を目指す」。金色に輝くメダルを、後に続く世代に残したい。”
澤選手の写真です。
昨日はアクセスありがとうございます。(._.)オジギ
昨日は、雨が降って、散歩が出来ませんでした。(>_<)
昨日は、何時もの時刻に就寝でしたが、またもや、2,3回の目覚めでした。ヽ((◎д◎ ))ゝ
今日は、朝6時前に起きました。睡眠時間は・・・・・まあまあです。o(〃^▽^〃)o
朝のニュースです。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
以下、毎日新聞のネット新聞から、転載しましたよ。(*^.^*)
”【バンクーバー(カナダ)福田智沙】サッカー女子ワールドカップ(W杯)カナダ大会で連覇を目指す日本代表(なでしこジャパン)は8日午後7時(日本時間9日午前11時)、1次リーグC組の初戦でスイスと対戦する。6大会連続出場の澤穂希選手(36)=INAC神戸=は、今大会が最後のW杯と明言。日本女子サッカー界の“レジェンド”のラストW杯の幕が上がる。
澤選手はスイス戦に出場すれば、国際Aマッチ200試合出場となる。男女合わせても日本人で史上初となる偉業だ。とはいえ、次のW杯時は40歳。「どう考えても(今大会が)最後。全力でやりたい」
自身の役割は「背中で見せること」と自任する。合宿では体を張ってボールを奪いに行くなど全力のプレーを常に見せる。「練習でできないことは試合でできない」と、ベテランだからと練習で手を抜くことはない。「苦しい時は私の背中を見て」となでしこの姿勢を示し続けてきた。
そんな澤選手も当初は背中を「見る」立場だった。1993年の代表デビュー時はまだ15歳。日本サッカー協会の野田朱美・女子委員長や19歳以下女子日本代表の高倉麻子監督らが中心選手だった。敗戦に悔し涙を流す先輩たちの姿を見て、「日の丸」を背負って戦うことの重さを痛感した。
アジアですらなかなか勝てない、日本女子サッカー冬の時代。95年、澤選手はW杯(当時は世界選手権)初出場するも決勝トーナメント1回戦にあたる準々決勝で敗退。翌年のアトランタ五輪では1勝もできなかった。試合会場に観客はほとんどおらず、2000年のシドニー五輪出場を逃すと、リーグから撤退する企業が相次いだ。
澤選手自身、所属チームに月謝を払ったり、「3カ月後に契約を打ち切ります」と通告されたりしたこともあった。そんな環境でも、女子サッカーを発展させるという使命を背負って走り続け、前回大会での初優勝をつかみとった。「サッカーを始めた時は6回も(W杯に)出るとは思わなかった」。来年のリオデジャネイロ五輪については「現役をやっていれば目指したいという気持ちはある」と含みを持たせる。
スイス戦前日の公式練習後、「いつも通りの緊張感が高まっている。やりきった大会にしたい」と意気込みを表現した澤選手。「やるからには連覇を目指す」。金色に輝くメダルを、後に続く世代に残したい。”
澤選手の写真です。
2015-06-09 07:32
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